信楽高原鐵道(SKR)
は、貴生川~信楽の約 15 km を結ぶ第三セクター鉄道です。
列車はワンマン運転で運行されています。
撮影日時: 1998.05.01
小野谷信号場は1991年の世界陶芸祭輸送のために作られたもので、現在は使用されていません。 しかし7年経った今でも、設備は当時のままで残されています。
SKR線のりば側 駅名標
JR線(草津線)のりば側 駅名標
貴生川駅改札の外にある「乗車駅証明書発行機」。
「乗車駅証明書」をこの器械から受け取って、車内で料金を支払います。
駅階段からホームへの眺め。
左が3番線(JR草津線)、右がSKR線です。
3番線の下り出発信号機。
陶芸祭期間中、JRからの直通列車は草津線本線から直接SKR線に入ってゆく運用になっていました。
✕印が付いているのが SKR線への出発信号機です。
SKR線のATS(自動列車停止装置)地上子。
これもカバーが掛けられていて、現在は使用されていません。
紫香楽宮跡駅は、SKR線の無人駅の一つです。
駅の全景。手前が貴生川方面、向こうが信楽方面。
信楽高原鐵道事故(1991-05-14)の発生地点。
紫香楽宮跡駅から約 0.6 km の地点です。
向こうが貴生川方面、手前が信楽方面。
向こうからJRの直通列車(501D、世界陶芸祭号)が、手前からSKRの列車(534D)が進行し、両列車がこの地点で衝突しました。
事故慰霊碑
信楽駅1番線ホーム
信楽駅の正面入口
駅を降りて左を振り向くと、巨大な狸が出迎えてくれます。(^_^)
(電話機や自転車と大きさを比較してみて下さい)
信楽駅の自動券売機
信楽駅1番線出発信号機。
事故当日、SKR列車(534D)発車のために信号を青にしようとしましたが、信号は赤のまま変わりませんでした。
このため534D列車は、赤信号のまま手信号で出発しました。
1番線ATS地上子(写真ほぼ中央
線路の内側の左よりに付いている四角い端子)。
当日の534D列車は4両編成であり、車両の先頭部はATS地上子よりも前(貴生川より)の位置となりました。
このため534Dが赤信号で出発しても、ATSは動作しませんでした。
また当時は、ATS地上子よりも前の部分のホームは、木で延長したホームでした。
継電室(リレー室)。
事故当日、信号が赤のまま変わらない原因を突き止めるために、技師がこの中で作業をしていました。
その時、写真後方の線路を、534D列車が手信号に従って右から左に向かって出発して行きました。
信楽駅内にある事故資料館「セーフティーしがらき」。
1997-04-30に、事故の反省から設置されました。
「セーフティーしがらき」には、JRの乗り入れ列車(501D、世界陶芸祭号)の前面ヘッドマークや、事故の写真などが展示されています。
SKR200形気動車。
乗降扉がバスのような折れ戸になっています。
200形の車内。
整理券発行機・運賃箱・お守り などが見えます。
SKR300形気動車。
200形とは違い、乗降扉が通常の引き戸になっています。
300形の車体側面。
「SKR」のロゴや狸のデザインが描かれています。
300形の車内。
こちらにも整理券発行機・運賃箱・お守り などがあります。
300形の車椅子スペース。
300形は事故の教訓から新製された車両であり、把み棒にゴムカバーを巻くなどの工夫がされています。
小野谷信号場。向こうが貴生川方面、手前が信楽方面。
紫香楽宮跡駅から約 3 km の場所にあります。
信号場を通過する貴生川ゆき列車(534D)。
前(写真左側)が200形で、後(写真右側)が300形です。
「534D」は事故車と同じ列車番号です(運転時刻は当時と違いますが…)。
小野谷信号場 下り出発信号機。
事故当日、JR列車(501D)は この信号機に現示された「青」信号に従って進行しました。
ダイヤ上は対向列車(SKR 534D)との行き違いがありましたが、当日は534D列車は来ていませんでした。
なお 信号機の下にある黄色の回転灯は、指令(信楽駅)から列車の運転士に連絡を取るためのものですが、当日は回転灯は点灯されませんでした。